鬼殺隊士の最高位である”柱”の内の一人であり、”岩の呼吸”を駆使する事から”岩柱”(いわばしら)と呼称される。盲目であり、常に数珠を携えて”南無阿弥陀仏”(なむあみだぶつ)と唱える姿は、他のどの隊士と比べても異様と言える。
年齢は二十七歳で現役の隊士の中では最年長であり、最年少の”柱”である時透と並んで”鬼殺隊最強”と評されている。また、武装に関しても”手斧”と”有刺鉄球”を鎖で繋いだ独特の武器を用いる為、もはや風貌に於いても戦闘に於いても”剣士”という言葉は全く当て嵌まらない。
個人情報
誕生日 | 八月二十三日 |
---|---|
年齢 | 二十七歳 |
身長 | 二百二十糎 |
体重 | 百三十瓩 |
出身地 | 東京府青梅日の出山 |
好物 | 炊き込みご飯 |
趣味 | 尺八 |
付記 | 盲目 |
目次
岩の呼吸と型の一覧
先述したように、悲鳴嶼自身は手斧と有刺鉄球を鎖で繋いだ独特の武器を使用しているが、岩の呼吸が派生した当初から、その武器に合わせて型が考案されたのか、はたまた、他の呼吸のように”刀剣用”であった型を悲鳴嶼自身の手で流用、あるいは改変したものなのかは判っていない。
壱ノ型…蛇紋岩・双極(じゃもんがん・そうきょく)
右手の鉄球と左手の手斧を前方に、かつ同時に投擲する技。弐ノ型…天面砕き(てんめんくだき)
右手の鉄球を一度投擲した後に鎖を足の裏で踏みつけて、敵の頭上に鉄球が落ちるように軌道を変える技。参ノ型…岩軀の膚(がんくのはだえ)
左手の斧と右手の鉄球を交互に振り回し、敵の連続的な波状攻撃を薙ぎ払う防御技。肆ノ型…流紋岩・速征(りゅうもんがん そくせい)
左手の斧は直接に敵を目掛けて投擲し、右手の鉄球は自分の背後を迂回する道筋で大きく弧を描くように操ることにより、敵の死角を突く同時攻撃技。伍ノ型…瓦輪刑部(がりんぎょうぶ)
敵に目掛けて突進しながら鉄球を投擲し、鎖が引かれる勢いを利用して跳躍してから手斧と鉄球を交互に引き戻しつつ再投擲し、合計で四回の攻撃を行う技。悲鳴嶼の筋力と跳躍力が無ければ、到底成し得ない技と言える。性格・体質
・入隊以前からの盲目である。
・不死川や胡蝶と同様に強く鬼を憎悪しているが、人前での対応は極めて冷静沈着であり、冨岡と不死川の言い争いを窘めるなど年長者らしい言動を見せる。
・不死川 実弥の実弟である玄弥(げんや)を弟子として教育してはいるものの、”継子”として岩の呼吸を継承している様子ではない。
痣の出現
”無限城”での戦いに於いて黒死牟と交戦した際に、腕に放射状の”痣”が浮かび上がり運動速度が大幅に向上した。この際に黒死牟が”痣の者は例外なく二十五の歳を迎える前に死ぬ”と指摘したが、逆に「例外はあったのだろう」と問い返し、縁壱という例外を思い出した黒死牟を動揺させた。
最期
鬼舞辻 無惨との最終決戦に於いては、無惨の苛烈なる攻撃により左足の膝から下を失った。勝負の決着後も暫くは意識を残していたが、”痣”の出現に伴う寿命と出血多量に因り、程なくして死亡した。
僧侶としての過去
元は寺を預かる住職の身であり、身寄りのない子供を引き取って共同生活を営んでいたが、夜中に独り抜け出した子供(幼少時の獪岳)が鬼と遭遇してしまい、あろう事か命乞いの代償として悲鳴嶼と他の子供たちが眠る寺の場所を教えてしまう。
鬼の襲撃を受けて殺される子供たちを前にして、悲鳴嶼は無我夢中で素手のまま、朝日が昇るまで鬼を殴り続けるという力技を見せる。しかし、その光景を一部始終見ていた一人の子供が混乱と恐怖のあまり、後から駆けつけた大人たちに「あの人が みんな殺した」と報告してしまい、官憲に捕らえられてしまう。
鬼殺隊の当主である産屋敷 耀哉(うぶやしき かがや)の采配によって牢獄からは逃れたものの、以来、鬼に対する憎しみ以上に子供に対する不信感を募らせる事となる。
台詞
声優:杉田 智和
「あぁ…なんという みすぼらしい子供だ 可哀想に」
「我ら鬼殺隊は百世不磨 鬼をこの世から 屠り去るまで…」
「我らは人として生き 人として死ぬことを 矜持としている」
「貴様の下らぬ観念を 至上のものとして 他人に強要するな」
公式人気投票
投票総数 | 得票数 | 順位 | |
第一回 | 二六,一〇五票 | 三票 | 第六十二位 |
第二回 | 一三〇,三一六票 | 八百四十三票 | 第二十二位 |
初登場
【第六巻】第四十五話「鬼殺隊柱合裁判」
産屋敷邸にて招集された柱合会議の場で、他の柱達が鬼である禰󠄀豆子を連れていた炭治郎の「隊則違反」を問題とする中、悲鳴嶼は「みすぼらしい子供だ」と風体を憐れみながら涙を流していた。